エンジニアの生き様をウォッチするメディア

「周囲の反対を押し切って、LITALICO入社を決めた理由」市橋佑弥(株式会社LITALICO)前編

ひょうひょうとした佇まい、終始穏やかな表情でインタビューを終えた株式会社LITALICOの市橋佑弥(いちはし・ゆうや)さん。

そんな様子なのに、いや、そんな様子だからこそ、市橋さんの胸に秘めた思いは熱いものがありました。インフラのスペシャリストとして数々のビッグプロジェクトを手がけ、社会貢献に取り組んできた人材が障害福祉の分野に身を投じた理由とは? さっそくご覧ください。

いまは、ゼロから社内システムを作り直しています

――前回のインタビューに引き続きのご出演となります。今回は市橋さまご自身についてお伺いしていくのですが、社員の方からの情報によると、象使いのライセンスを持っていらっしゃるそうですね?

市橋佑弥(以下、市橋) そうなんです(笑)。6、7年前かな、ラオスに象使いの村があって、そこでトレーニングしました。といっても、3日間受講して免許が発行されるやつで、観光事業の一環ですけどね。本当に象を操れるかは怪しいですが、一応その免許でラオス国内の道路では象に乗れます。

――どういうカリキュラムなんですか?

市橋 象は夜中、山中に放し飼いになっていて、朝になったら迎えに行くんですね。早朝に行くと、象が山を降りてくるんですよ。

――かわいい。

市橋 それでご飯を食べさせたり、川に連れて行って水浴びさせたり、山の中を散歩させたりと、夜までそれを繰り返すんです。最後にまたご飯を食べさせて、山に帰します。

座学も1時間あって、もう忘れましたがラオス語での命令を覚えました。象にまたがったとき、耳の後ろぐらいに人間の足が来るんですが、その足で耳の裏を打つんですね。コツがあって……。

――このテーマで1本記事が記事が書けそうなほど興味深いですが、今回の趣旨とそれてしまうので(笑)本来のテーマに戻したいと思います。改めて、市橋さんの業務内容を伺えますでしょうか。

市橋 ありがとうございます(笑)。役職としては、情報システム部の部長です。LITALICOには情報システム部と、前回登場した亀田が見ているプロダクトエンジニアリング部があり、僕は社内のIT環境を整えています。

パソコンを用意するところから始まり、ネットワークやツール共有などのいわゆる社内IT業務、フルスクラッチな開発部隊を置いて「LITALICOワークス」や「LITALICOジュニア」といった店舗事業で使う業務系システムの保守・開発など。

今は、ゼロからシステムを作り直しています。社内向けのほか、同業界の就労移行支援事業者やお子さま向けの療育事業などにクラウド型業務システムサービスを提供していく予定です。なので、最近はプロダクトも作っていますね。

僕は2年ほど前に入社したんですが、入社して3週間ほどで「社内向けシステムを全部作り直します」と宣言したんですね。それから、最初は既存システムのリバースエンジニアリングをしたり、ドキュメントが存在しないので分析をかけたり、アーキテクチャをどうするか考えたり、プレテストのプロジェクトを作ったり、という工程に1年ほどかけました。

――同席されている広報の方、かなり意外という表情をされています。

市橋 社内でこういう話はしないですからね。亀田のチームはある程度存在感があったものの、情シスのほうはまだまだ弱かったので。社内的に、プレゼンスが薄い状態からのスタートでした。

インフラのスペシャリストとして、キャリアを重ねる。

――それが、今や社内におけるメインプロジェクトに。そこに至る道筋を伺うため、少し時間を戻します。市橋さんは、いつ頃からエンジニアを志されたのでしょう?

市橋 これが、26歳のときに全くの素人からエンジニアになったんですよ。学生から興味があった、とかでは全然なくて。

それまでは音楽をやったり、バックパッカーをやったりでした。音楽の道は挫折して、バックパッカーもおっさんになるまでは続けられない。「ちゃんと仕事をしよう」と思って、手元に全部の職種を並べ、エンジニアを選んだ形です。

あと、いわゆるサラリーマンをやるのも違うなと思いました。スーツを着て営業に回るとか、一生懸命に事務作業をするとか。それよりも「モノを作る職種がいい」と思って、建築とエンジニアの二択まで絞り、エンジニアを取りました。

――最初の会社では、どんなことをされたんですか?

市橋 最初は、小さなSI会社に入りました。今でも時々問題になりますが、いわゆる多重下請け構造の下流工程と呼ばれる業務であったため、なかには6次受けの受注もあったようです。ただ、運が良かったのは行き先の開発案件が面白い場所だったこと。研修期間を終えると大手通信事業所の研究所に派遣され、ネットワーク系の研究プロジェクトに常駐、インフラレイヤーをやっていました。

モバイル端末は、IPネットワークでどんどん基地局が変わりますよね。電車とかクルマなどですごい速度で動いても、ストリーミングが途切れず見られるようにするとか、そういった技術の研究開発をお手伝いしました。

あとは、ケータイメールですね。複数の通信キャリアのシステムの運用・保守チームに1年半ほどいました。監視センターにはエンジニアが配属されていなかったので、何かトラブルが起こると直接開発部隊に持ち込まれてしまい、結果開発が滞ってしまうんですね

それで、監視センターと開発部隊の間のポジションとして、技術的に深めのトラブルシューティングをやっていました。バグの原因分析をし、開発に回す役割です。24時間シフトで回す総勢20~30名ぐらいのチームで、生意気にもテックリードをやらせてもらいました。

――この頃に、すでにテックリードをやられたんですね! それまで技術の仕事をやられていたわけではないんですよね?

市橋 そうです。「エンジニアになろう」と決めて、最初の会社に入る3ヶ月前からびっくりするほど勉強しました。ご飯と風呂以外は、とにかく勉強。やってみたら面白くて、資格を4つほど取って「これぐらいは勉強できまっせ」という手土産を持って入社しました。

――すごいですね。そういった下地があるからこそ、未経験で入社してもテックリードになれたんですね。そして、その後にフリーランスとして長くやられたと。

市橋 最初の会社に2年ほど在籍した後、5年ほどフリーランスをやりました。大手通信事業者の企業向けIP電話を担当し、巨大なシステムの一部の開発をやったり、フレッツ光のIPひかり電話のファーストリリース開発をやったり。

――完全に、インフラ周りのスペシャリストですね。

市橋 そうですね、インフラ系ばかりやっていました。その後、別の電気通信事業会社に6年半ほどいて、そこでもISPとかクラウドのIaaSとかPaaSみたいなサービスをやりました。MVNOや格安SIMなどの、最初の仕組みを作ることもやっていました。LITALICOに入社するまでは、ずっとインフラ系ですね。

周囲からは、入社に大反対されました

――ご経歴を伺うと、LITALICOさんへの入社は「驚きの転身」といった感想を覚えます。

市橋 ですね。周囲からは大反対されました。当時所属した会社からも、メーカーさんや技術ベンダーさんからも。「なんで違う業界に」「もっと発展させようよ」「だったらウチに来てよ」とか。

最後に手がけたのは分散システムやビッグデータと呼ばれる技術、クラウド基盤のオープンソースだったので、意見交換などしていた技術ベンチャーやファンド、行政の人たちからも反対されました。

――そこまで強い反対を押し切って、LITALICOさんを選んだ理由はどこにあったんですか?

市橋 そもそもエンジニアを選んだのは、インターネットの技術を発展させることで社会へインパクトを与えられるからなんですね。キャリアを考えるとき、「(インターネットは)一定のところまで行き渡ったな」と思いました。

実際、ほとんどの人がスマホを持ってます。ネットワークで人が繋がり、活用されるのは当たり前になった。取り組むエンジニアもたくさんいるし、別に僕がいなくても回るんです。それで、「インターネットを使って何かをする側」で「まだITの活用が進んでいない業界」にキャリアチェンジしようと思いました。

できる限り、社会の課題を解決する仕事をやりたかったんです。それも、より根本的な課題を。教育、医療、福祉、貧困もそう。日本だけで探したわけではないので、そのあたりのテーマも考えていました。

ただ、大きな社会課題に向き合い、かつITエンジニアとして仕事のできる環境は限られます。僕もそこそこの年齢・立場でやってるので、そういう人がちゃんと求められる環境となると難しい。

NPOも検討してみたんですが、海外と異なり国内では「利益を上げてはいけない」という風潮をまだ感じる部分があると認識していたので、課題解決のために事業としての持続性がある形で関わるとしたら何があるか、考えた中で民間企業の「LITALICO」が選択肢に現れました。

――LITALICOさんには、ご自身で応募されたんですか?

市橋 いえ、エージェントさん経由です。前職ではSNSサービスをやっていたのですが壁にぶつかってしまい、結果サービスごと職を失ったんです。で、潰れたのは知れ渡ってるのでいろいろお誘いが来まして、30~40社ほどお話をいただき、最終的なオファーも幾つかいただきました。

ただ、元々やりたかったことを考えると入社に踏み切れなくて。結局、すべてのお話をお断りし、もうちょっと探してみようと。そのタイミングで、LITALICOを紹介してもらいました。当時、(LITALICOの名前は)聞いたこともなかったです。

――でも、入社を決められた。第一印象で、「ひょっとしたら」という思いがあったんですか?

市橋 そうです。実は、初見で決めました。素知らぬ顔で面接を受けて、内定をもらったときも即答しなかったりしてますが(笑)。こんな会社、本当にないですから。

障害福祉の分野に興味があったのは、娘の友人に障害がある子がいるからでもあります。自分のビジョンを考えたとき、身の回りの子たちの顔が浮かぶような事業だと、取り組むパワーが出てくると考えました。

<後編へ続く>


株式会社LITALICOでは、求人を募集しています。