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2022.07.05 2023.03.27 約3分
インフラ、開発、インフラ、と歩んだキャリアの移行は決して容易ではなかったと語るinductorこと太田航平 氏。高専中退後はゲーム・親と喧嘩ざんまいの日々を過ごしながらも、バイトやブラック企業を経験しZOZOへ転職。オンラインゲームで培った英語力をいかし、エンジニアとして成長していく波乱万丈なキャリアを取材!
地元の工業高専を中退しています。通っていた工業高専は、高校にしてはそこそこ高い理数系で、進学校の要素と理系の大学1. 2年レベルをごちゃ混ぜにしたようなところです。
中退後に大学受験もしようかなって色々考えたんですけど、結局あんまりモチベーションが上がらなくて。家でずっと引きこもってゲームをして親と喧嘩するみたいな毎日を送ってました。
そんな日々を送るうちに「ずっと家にいるのもどうなんだろ?」と思って、バイトをはじめました。最初は本当に誰でもできるようなバイトです。そのバイト生活を経て上京し、就職したのが今のキャリアのきっかけになります。
1社目は運用のオペレーターをしました。サーバーやネットワークの機器がたくさん置いてあるデータセンターです。ここはエンジニアの走り出しみたいな仕事でした。
夜勤もあって体力的にキツイし労働環境もあまり良くなかったんですけど「これも修行!」と思って勉強させてもらいました。
当時は誰でもできる仕事をやってたので、給料もそんなに高くなくてですね、本当ギリギリの生活をしてたな〜という記憶があります。
ネットワーク規模はそこそこ大きかったので、ネットワークの基礎とかを色々勉強させてもらいました。
エンジニアリングに必要なサーバーと対話するシェルのコマンド、スクリプトの書き方、あとは仕事に必要なメールの書き方とかもここで学ぶことができました。
本当に何も知らない10代のペーペーみたいなところから21歳くらいまでいたんですかね。
そんな感じで、ここではゴリゴリのインフラのレイヤーで運用をしていたのですが、やはり労働環境があまり良くなかったこと、あとは元々、高専に行く程「ものづくり」が好きで開発に興味があったことから転職を考えました。
当時は Forkwell がなかったので(笑)Wantedly を通じてスタートアップのような受託開発をやっている会社を探しました。
当時は、開発未経験だったので面接に行っても落とされたりしてたんですけど、そんな中で雇ってもらえた会社が2社目です。ここは会社訪問時の雰囲気や社長の面白さに惹かれて入社しました。
ここから Webエンジニアのキャリアがスタートします。
2015年当時は、 PHP や Android のJava 全盛の時代ですね。PHP が落ち目になってきて、CI 、Ruby on Rails 、CircleCI 、Travis、Docker が流行り始めた時期でした。
PHP のバックエンドのアプリケーションを Docker Compose で作っていたんです。それまで仮想マシンは触ったことがあったんですけど、 Docker は存在そのものを知らなかったので「何がどう違うんだっけ?」と色々興味を持って調べましたね。
元々インフラもやってたので「サーバーってこんなに簡単に立てられるんだ」と衝撃を受けまして、それがきっかけで Docker 関係の勉強会とかに顔を出すようになりましたね。
当時、Kubenetes も流行り始めてはいたんですけど、ちっちゃなWeb開発の会社ではまったく役に立たないだろうという認識だったので 、尚更 Docker にのめり込んで。そういった経緯でコミュニティなどで登壇するようになったのかなと記憶しています。
開発をしながらも結局、僕の興味の中心は実はサーバーとか、もうちょっとインフラに寄っているんだなというところに気づかされまして。
その会社でも「もっとインフラっぽいことやりたいよ」って話はしてたんですけど、なかなかやっぱり受託開発の会社だとインフラ系の仕事ってもらうことが難しいことがわかりました。
2018年に、ZOZOテクノロジーズ(現:ZOZO)にインフラエンジニアとして転職しました。
ZOZOではクラウドエンジニアの業務もしていました。AWS や Google Cloud 、Kubenetes、ECS を触っていたので、Cloud を使うことは結構当たり前になりつつありましたね。
「ある程度の規模感の会社に入らないと勉強できないことってたくさんあるんだな」と働く過程で勉強させてもらいました。
開発を勉強したからこそ、次のキャリアであるクラウドインフラに役立った部分もあります。
例えば API と会話したりInfrastructure as Code の概念を理解するのにも、開発の知識が役立っています。
ただ単に、キャリアを行って戻っていったわけではなく、螺旋のように 1 個上のレベルに自分の中で上がれたと思っています。
開発だけが選択肢じゃないよっていうところを結構気づいていない人もいるかもしれないなと思ってお話しします。
僕も結局、開発に興味があってやってみたものの、ある意味イマイチしっくりこなかったんですよね。
自分の興味の中心にあるところが、ビルディングブロックを組み合わせて、人に何か体験を提供することだったんです。
ものづくりは好きですが、プログラミングそのものにはあまり興味が持てなかったっていうのは結構正直なところであると思っています。
でも、開発が苦手だからエンジニアに向いていないかというと、そんなことはないのかなと思っています。
もちろん仕事に取り組む姿勢として、趣味の延長線上でやるっていう考え方と仕事は仕事、プライベートはプライベートって分ける考え方があると思うんですけど、どちらも否定できることじゃないですよね。
僕も今となっては割と趣味の延長でできているんですけど、開発のときは完全に仕事として割り切っていました。ストレスもたくさんありました。
無理にやりたくないことをやらなくても、何か興味を持てることがあるのであれば、そちらにシフトしていくと、何か新しい世界が広がるかも知れません。
例えば Webエンジニアをやってみたけど何かしっくりこないなって人は、インフラの道でお待ちしています(笑)
英語をはじめたきっかけは、10年くらい前なんですかね。高専を中退しようか悩んでいた時期に、ずっとオンラインゲームをやっていた時期があって。
海外でプレーされるゲームにハマっていたので、チームや敵の人とコミュニケーションを取ろうと思ったら英語を使わないといけないんです。
元々、高専って大学受験の入試がないので、あんまり英語に力が入っていなかったんですよね。僕も一応、中学までは英語をやってたんで、最低限のコミュニケーションは取れたんですけど、ペラペラ話すとか、ちょっとした雑談になるとハードルが高かったんです。
しかしですね、なんとニートってすごい時間があるんですよ。
ずっと英語で会話しなきゃいけない状況を作れたおかげもあって、英語でしょうもないことをしょうもない人たちと喋るみたいなことをさせてもらったので、その時に僕自身は英語が使えるようになりました。
ただ、ゲームだと口調が荒かったり短文のコミュニケーションしか取れないので、Netflixで観た映画のセリフをずっとブツブツ呟いたりしてました。
近所の人に「おたく、外国人が住み始めたんですか?」みたいな、そういう謎の心配をされるくらいには、ずっと英語と向き合っていた毎日過ごしていた時期ですね。それでだいぶ喋ることに対する耐性はなくなりました。
技術のドキュメントを読むのに英語力が必要だったりするけど、分からない文法は別に人に聞けばいいかな。IT系の専門用語って元々カタカナになってるものもあるし。
オープンソースのコントリビューションを通じて結構、人と繋がりができました。横の繋がりができると楽しくなってきて、海外のカンファレンスで登壇したいなっていう気持ちになってきましたね。
英語が使える一番のメリットは、オープンソースのツールを触るときに「この挙動どうなん?」みたいな疑問を投げかけるときのアクションが取りやすいっていうのは、結構大きいのかなと思います。
読み書きよりも直接コミュニケーションが取れるメリットは、海外カンファレンスで実感することが多いですね。
例えば iOS だったら WWDC みたいなでっかいイベントもあれば、Google だと Google IO とか Meet up、Rubykaigi とか、KubeCon とか。そういうカンファレンスで喋った人たちに声をかけに行ったり、何かのライブラリのメンテナをしている人に直接、議論を投げかけに行ったり。廊下で喋ってる雑談に耳を傾けてみるとか。
なんかそういうバーバルコミュニケーションだからこそできるメリットを活かせる人って結構日本はまだ少ないと思っていて、それができるだけで大きな1つの強みになると思っています。
この記事はフォークウェル編集部が監修しています。編集部では、企画・執筆・編集・入稿の全工程をチェックしています。