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■CTO名鑑
2024.05.13 2024.06.19 約2分
自分のキャリアロールモデルを探すITエンジニアのためのCTO名鑑シリーズ。今回は、株式会社タイミーの赤澤 剛氏を特集します。
赤澤 剛と申します。現在はタイミーでVPoEを務めていますが、正社員としてはこれが4社目。最初はワークスアプリケーションズでERPの開発に10年間ほど携わり、その後LINEフィナンシャルで新銀行の立ち上げを経て、2024年1月まではユーザベースグループにてNewsPicksの法人領域の開発やグループ内のAlphaDriveにて3年ほどCTOをしておりました。
1社目のワークスアプリケーションズは、今に繋がるソフトウェアエンジニアとしての基礎を築いた期間でした。ワークスアプリケーションズは、インターンが有名な会社で、エンジニアリングの世界に飛び込んだのはプロダクトの魅力、CEOの熱意、あと初任給に惹かれたから(笑)。10年間で学んだことは、プロダクトエンジニアとしての生き方です。
当時のワークスアプリケーションズは、法人セールスやコンサル部門以外の領域は全て開発部門と定義されていたので、もちろん明示的なPdMやUIUXデザイナーも不在。事業企画から開発、デモンストレーションまで、全てがエンジニアの仕事でした。後々、各部門にプロがいることの強さを知ることになるのですが、この頃「顧客への価値提供 = 仕事」 と捉え、価値提供に必要なことはなんでもやるプロダクトエンジニアとしての生き方が構築できていたように感じています。
ちなみに、BtoB領域の面白さにハマったのもワークスアプリケーションズがきっかけです。最近も、10年以上前、ワークスアプリケーションズに在籍していた時に開発した機能について「あの機能のおかげで早く家に帰れるようになったよ!」と感謝の言葉をいただく機会があり、ドメインの魅力を改めて実感しています。
一方で、あの働き方は今となっては推奨できるものではありませんね。リモートワークがまだ一般的ではなかった時代、日曜日の夜から出社して設計や開発に没頭するなど、自分自身のキャリアなどどうでもよく、ただ目の前の仕事に全力を尽くす日々でした。
ある日突然、シンガポール・インド・上海の中から好きな場所を選んでいいよと言われ、シンガポールを選んだところ、明日行く?と即座に聞かれました。(私はこれをビジネス電波少年と呼んでいました笑)
仕事を勝ち負けで考えていたわけではありませんが、”明日から海外に赴任できる人??”と聞かれたら、私は即座に手を挙げる。
当時は、そういう前のめりな姿勢が必要だと感じていました。その結果、日本やシンガポール、インドで100名を超える組織を率いることになり、お客様のためには自分自身を削ることが当たり前のスタンスとなっていました。
当時は『お客様に週休3日の世界を提供したい』というビジョンを掲げていましたが、その目標を実現するためには、私たち自身が非常にハードに働くぞ!という状況でした。
海外オフィスでのマネジメントでは「赤澤さんのことはとても尊敬しているけど、今のマネジメントスタイルでは付いていけない」と、メンバーからハッキリ伝えられたこともとても大きな反省と転機として記憶しています。インドやバングラデシュのチームメンバーが自分自身の課題に向き合ってくれたことをきっかけに、マネジメントスタイルを根本から見直し、これが「お客様に真に価値提供を継続するためには自分たち自身がサステイナブルでなければならない」という現在のマネジメントスタイルの礎になっています。
2社目のLINE & LINE Financialでは、信頼貯金と顧客価値提供の本質を学びました。10年間勤めたワークスアプリケーションズを離れ、既に確立されたコミュニケーションのパイプラインや信頼関係に頼ることなく動かなければならない状況に、新しいドメインの難しさと、信頼貯金がない状態でのリーダーシップの難しさを痛感しました。またプロジェクトの事情から最終的なプロダクトのリリースがない状態でユーザーベースへ転職することになったため、お客様に価値を届けることこそが、自分自身に『存在価値』を与えることであると痛感しました。顧客のもとに届かないものは、どんなに技術的に優れていても、意味がない。また顧客へ価値を提供するためには、セールスやCSチームとの連携が不可欠。チームワークの価値や様々な職種の同僚への感謝を深く認識しました。
前職のユーザベースでは、グループであるアルファドライブにて執行役員CTOを、NewsPicks for Businessでは取締役を務めました。ここでは、BtoB SaaSやニュースメディアの開発を推進し、プロダクト組織はわずか2名から40名規模へと大きく成長しました。CTOの打診を受けた時、正直、断ろうと思いました。理想のCTO像と自分自身との間に大きな乖離を感じていたんです。恥ずかしさや、周りから認められないのではないかという不安がありました。でも、断ったら始まらない。CTOに挑戦して、もし向いていなければ辞めるという選択肢もある。そうシンプルに考えて、挑戦することにしました。
CTOとして3年間で学んだのは、経営課題と技術課題をどう接続できるか、経営の中で技術やプロダクトをどう理解してもらい、それを経営課題と同テーブルで語り、事業戦略に組み込むかということでした。。あらゆる技術において全社で最も詳しい人材ではないが、CTOとして自分自身が担えるし担うべき役割だと素直に思えました。
2年目になって少しずつCTOを名乗ることに対する恥ずかしさや違和感が消えました。自分のようなタイプのCTOを認められるようになったんです。自分自身が理想とするアカデミックな要素を持っていたり、要素技術に強いタイプとは異なりますが、そんなCTOにバトンタッチできる状況を作るまでは自分のようなCTOがいてもいい。今では自分のようなタイプを『崖から落とされたら、血だらけになりながらキラキラ光る石を拾ってくる系のCTO』と笑って言ってます(笑)
2024年2月、タイミーのVPoEとして新たなキャリアをスタートさせました。以前の職場であるアルファドライブでは、VPoEやEM(Engineering Manager)の役職が存在せず、CTOとしてその役割を兼任していた経験があります。実際、外部からのお声掛けで最も多かったのが、VPoEのポジションでした。自身の行動が外部からVPoEとして認識されていることに気づき、役職にこだわりもなかったので、純粋に自分自身が価値貢献したいプロダクトと組織の両方があると確信し、タイミーへのジョインを決めました。
タイミーは、既に一定の規模になっている組織です。これまでの経緯や歴史に経緯を払って強みをさらに強化し、そして時には成功要素をあえてスクラップして、さらに大きな成功を獲得しにいくことに挑戦しています。特に、中長期的な合理性のために短期的な非合理を「歓迎」する組織を目指し、CTOの亀井氏と共に、二人三脚でこの変革を推進している最中です。
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