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「技術の壁を感じるなら、大学に戻るのは悪くない選択」田村真佳(株式会社レトリバ)〜Forkwell エンジニア成分研究所

自然言語処理を取り扱っています

――田村さん、伺いましたが経歴がかなりユニークですね。プロボクサーの経験があり、海外大学院に留学もされておられるとか。まずは、御社の業務内容から伺えますでしょうか。

田村 いま働いているのは株式会社レトリバで、主に自然言語処理を取り扱っています。僕がいるのは音声認識のチームで、ソフトウェア開発エンジニアをしています。

――トレンドど真ん中ですね。

田村 そうですね、今後10年はAIや機械学習が中心になるかなと思って、それでAI業界を中心に転職活動をして今の会社に決まった経緯です。

自社のコールセンター向けソリューションがあるんですが、例えば、オペレーターの方とカスタマーの方が会話をしている中で質問の答えを予測して、候補を画面に表示する、というようなことを実現しています。

予測結果は文章から推論するので、まずは音声を文字に変換しなくてはいけないのですが、その音声入力の部分から一貫したワンストップなソリューションを提供していこうという流れになり、音声認識もやることになりました。

例えば、音声認識関連でAmazonのアレクサ向けの開発だと「音声認識をしたものに対してどう処理を書くか」になると思うんですが、ここで言う音声認識は音声自体を認識して表示する部分のサービスです。

――なるほど。僕らの仕事で言うと、文字起こしが自動化されるようなものでしょうか。

田村 いま、Googleさんとか、なかなかの精度ですよね。音声認識はディープラーニングが使われるようになってから、すごい速度で進歩しているので、面白いですね。ちょっと前にはできなかったことが、今はできるということが頻繁に起こっています。

画像認識に関してもそうですし、State-of-the-artとか、最高精度を塗り替えるような論文がポンポン出ている状況になっています。

もともとは音声認識は喋った言葉の音素、音の母音とか子音を「この音だろう」と予測する音響モデルと、言語モデルという「この言葉じゃないか」と言うものを合わせ2段階で学習させたものを使っていたんですね。でも今は「音のデータを入れたらそのまま文章になる」という状況になってますね。

ボクシング、成長を感じるタイミングが楽しくてハマってしまいました

――田村さんは、早稲田の文学部哲学科を卒業されたんですね。

田村 そうですね、心理学に興味があったので。高校は理系だったのですが、趣味でインターネットをつないで高校時代からメーリングリストでやり取りをしていた仲間と毎晩チャットしてました。

それで自分も発信したいなと思って、当時好きだったバンドの非公式ファンサイトみたいなのを作っていましたね。大学もそのままコンピューター系に行きたいと思っていたんですが、ある程度独学で作れていたので「コンピューターは独学で、それ以外で専門を作ろう」と心理学に行ったんです。

――それで、最初に入られた会社が株式会社太陽企画さん。

田村 求人広告の代理店で、最初は原稿を書きに入ったんですけど、そこから新設の進行管理のポジションを担当して、紙ベースだったやり取りを社内のサーバーを使ってWeb化したことがあって、それがすごく感謝されたんですね。それで「やっぱりコンピューターを使って、いろいろな人に感謝される仕事がしたいな」と思って、IT系の会社に転職しました。

――それで、2006年からコガソフトウェア株式会社さんに。ここでは、どのようなお仕事をされていたんですか?
 
田村 最初にJavaの研修を受けてからは某航空会社さん向けに会員向け予解約サイトを担当しました。チケットを予約したりマイルが溜まったものをポイント変換したり、QRコードでチェックインできるサービスの開発に関わりました。

その後はwebEDI、電子商取引の受発注のシステム化のパッケージソフトのカスタマイズ案件を担当したり、ということをやっていました。

――そのなか、2009年7月にボクシングのプロテストに合格されて、2010年1月にデビュー戦。

田村 はい(笑)。
 
――すごいの一言なんですが、そもそもボクシングを始められたのが25歳なんですね?
 
田村 そうですね、ジムに本格的に通いだしたのが25歳です。初めてボクシングをやったのは大学の体育で、意外とちゃんとスパーリングをやる授業でした。

もともとサッカーを10年くらいやっていたので体も動いて、「向いてるんじゃないか」と思ってジムに行ったんですね。そうしたら、最初のスパーリングで結構ボコボコにやられまして(笑)。負けん気が強いので「これは強くなりたい」と思って本格的に通いだしました。

――どれくらい通われたんですか?

田村 週に4~5日は通っていました。純粋に体を動かすのが楽しくて。最初は思うようにできなかったことがある日できるようになる。成長を感じるタイミングがすごく多くて、楽しくてハマっちゃった、という感じですね。

――それは完全に素質があった、という事ですね。

田村 どうでしょう(笑)。戦績は全然良くなかったですし。

試合後、顔を腫らせたまま仕事したことも

――2010年1月にプロデビューされ、その年に株式会社ジー・モードさんに転職されたんですね。

田村 今はわかりませんが、当時のシステム業界って、プログラミングが少しできるようになると設計側に回ることが多く、あまりプログラマを重視していなかったんですね。古くて堅い技術を好む傾向もあり、当時、色々新しい技術が出てきていたんですが、そういうものに挑戦できる機会があまりないと感じていました。

それでWeb業界を中心に受けたんですが、その時にレベルの違いを感じて「これはヤバいな」と。結局、拾っていただいたのがジー・モードさんです。
 
転職した頃、Androidが出てきたんですね。それで日本Androidの会に参加してABC(Android Bazaar and Canference)というイベントのスタッフをやったり、懇親会でいろんな人と仲良くなったりと、コミュニティ活動がすごく楽しくなりまして。

スマートフォンが出てから、技術の競争の場が日本国内から世界に移ったなと感じたこともあり、「本場アメリカに行って仕事をしたい」と思って渡米しました。

――ボクシングと仕事を両立されていたのは、ジー・モードさんにいた時までなんですね。

田村 そうですね。ただ、アメリカでもアマチュアのボクシングジムに通ったりはしました。

次に試合に負けたらスッパリ止めて渡米しようと決意して迎えた最初の試合ですが、1ラウンドで右目の上を切ってしまい、大出血で血が目に入り右側が見えなくなったんです。足を使う練習をしていたんですけど、当時サウスポースタイルだったんで右足を前に構えて右側にステップしないといけないのに右目が見えない。

結局、練習していたフットワークは使えず、打ち合いになり、4ラウンド目で出血がひどくなって判定負け。それで、プロはスパッとやめました。

――プロデビューする時、周りの反応はどうでしたか?

田村 どうですかね、試合をすると言った時に驚かれたりはしましたけどそこまで大きな反響はなかったかもしれません。

――「ケガしないようにね」と言っても「殴られるからなぁ」みたいな。

田村 (笑)あとはやっぱり、システム業界は忙しいので「休みをどれだけ取らないといけないのか」とは聞かれました。

結局、試合の日以外で休んだのは計量がある試合前日だけで、翌週は顔を腫らしたまま仕事をしたこともありました(笑)。

――減量は辛くなかったんですか?

田村 辛かったですけど、そこまででは。いろいろなものを少しずつ食べ、量をどんどん少なくしていく形で減量していたので。むしろ、計量後に体重を戻すほうが大変だったかもしれません。最後の試合の前日の夜は食べすぎて吐いたりしましたから。

サンノゼでホームステイしたものの……

――アメリカでは、サンノゼに移られたということですが。

田村 最初は語学学校の斡旋でホームステイをしました。ホストファミリーは移民のおじさん1人に犬が3匹みたいなところでしたね。

彼がカフェのオーナーをやっていたので、最初は余ったパンを持って帰ってくれたりと美味しいご飯を食べられてたんです。けれど、彼が翌月から水関係のネットワークビジネスを始めてカフェを閉めてしまい。

「これでボロ儲けだ!」と意気込んでいたものの、そこからご飯がどんどん貧相になって。最後の方は、お皿いっぱいの米に茹でたブロッコリーがちょっと乗っているみたいな状態でした。

他にも色々事件があって、結局、ホームステイ先から友達の所に逃げるように避難して、翌セッションは「もうここで生活するのは無理です」と伝えました。同じ家でホームステイしていたクラスメイトも同じタイミングでそこを出てルームシェアを始めたのでなかなかおかしい環境だったと思います。カリフォルニアでは結構住まいに悩まされたこともあり、大学のあるオレゴンでは主に学校外の学生寮に住みました。

――留学先では、どんなことを勉強されていたんですか?

田村 コンピュータサイエンスの大学院に入るという話で、最初はクパチーノの語学学校に通っていました。

クパチーノは、ご存知だと思いますがAppleのHeadquarterがある所です。その学校に行っている間に、オレゴン州立大学から英語の条件付きの入学許可が出ました。TOEFLの点数が一定を超えたら入学できるというものなんですけど、9月の時点ではTOEFLの点が届きませんでした。

それで、最初は大学付属の語学学校に入りました。確かレベル5を超えるとTOEFLの条件と同等とみなして入学許可が下りるんですが、僕は秋冬が終わった時点でレベル5を突破して入学できることになりました。

――それで、2012年から2015年の間はガッツリ勉強されていたんですね。

田村 そうですね。途中で1年間ほど休学して、ジークレストさんでフリーランスで働きました。元々は夏休みに一度派遣で働いたところだったのですが、父の体調が悪くなり、Facebookで「1年休学して日本に戻るので、どこかで働きたい」と書いたらお声がけいただいて。

父は末期がんだったのですが、余命3ヶ月の宣告があり帰国しました。当時、予想以上に留学期間が長引いて、資金もショートしそうだったのもあり、即時休学の手続きをしました。帰国後は、母の介護疲れが心配だったので、実家には住まず、休学期間は平日働いてお金を貯めつつ、週末は父に会いに行く生活をしていました。

2時間通勤の間に、資格を15個取得

――人生の選択をする上で、どういう事を大事にされておられますか?

田村 やっぱり、面白い仕事をやりたいですね。

ただ、面白いものだけをやるだけだと、不安定になるので、しっかり土台を固めて、ちょっと先を見つつ、その時の選択肢の中で一番楽しそうなものを選んでいます。

例えばボクシングだけでは引退後が不安なので、仕事としてITをやりながらボクシングをしたり。大学院に行くこともキャリアとしてはスキマができてしまいますが、海外でコンピューターサイエンスをしっかり勉強することはITエンジニアとしてマイナスにはならないと判断しました。

いろんなことをやりつつ、土台はしっかり固める。面白いことをやりつつ、それだけで終わらないよう選んできました。

――素晴らしいですね。ぱっと見、好きな事だけに向かっているようで、経済的な土台をしっかり見据えられているなと感じました。

田村 仕事面だと具体例は難しいですが、レトリバ社は「20パーセントルール」があり、やりたいことをやれる環境です。ただ、当然ですがメインの仕事をしっかりやるのが前提なので、そこは手を抜いていないつもりです。テストは重視していますし、そういう意味で、仕事面では結構手堅いとは思います。怖がりなので(笑)

――ありがとうございます。続いてご自身の成長の為に日々行なっている事があれば教えてください。

田村 そうですね、通勤の電車では必ず技術書を読むようにしています。IT業界に入ってからずっとやっている事で、航空会社の時は往復2時間だったので、毎日勉強していると結構な勉強量になります。当時、2年間で、IT関係の資格を15個くらい取りました。

――すごい!

田村 あとは競技プログラミングですね。プログラミングコンテストで良く使われる技法を使った問題を、毎日1問は解くようにしています。あとは、家の近くに都立中央図書館がありまして、週末はそこに籠って気になった技術書を読んだり、最新の論文を読むようにしています。

今の会社は周りの人のレベルが、本当に高いんです。新しい領域で足りない知識を埋めるのも含め、ちゃんと渡り合うにはこれくらいはしないといけないと感じています。通勤時間にできる事は限られているし、その時間は省略できないので有効に使っていますね。

また、仕事環境としては週に1、2日ならリモートワークができるんですけど、なるべく会社に来るようにしています。周りに人がいないと集中できないタイプなので、家にいると動画を見たりサボっちゃうんです。家で集中できるなら、リモートで働ける環境は素晴らしいとは思うんですけど。

それと、興味のある勉強会はなるべく参加して、学びを得ると同時に人間関係も広げています。最近だと、twitterで声をかけて頂いて関わるようになったfukuoka.exとか都内だとtokyo.exとかElixir関係のコミュニティが自分の中で熱いです。

今後は、専門的な部分の成長を大事にしたい

――ここからは、田村さんが働く上で大切にしていることについて、「事業内容」「仲間」「会社愛」「お金」「専門性向上」「働き方自由度」の6つの項目から合計20点になるよう、点数を振り分けていただきます。

・専門性向上:5

成長したいですし、尖りたいのです。「何が得意なの?」と聞かれると、ジェネラルにいろんな事をやってきたので広くはなっているんですけど「ここが一番」にはなっていない。今後は、専門的な部分の成長を大事にしたいです。

・仲間:4

レベルの高い人に囲まれて仕事をすると、必然的に成長せざるを得ないと思うんですね。背伸びして届くくらいのレベルの仲間がいるようなところで、切磋琢磨しながらやっていく方が自分の成長になるし楽しいと思います。
 
・お金:3

大事だと思うんですけど、目先のお金にこだわっていると、それが儲からなくなった時に苦しいと思うんですよね。先を見て、人生トータルで見て最大化できるところを考えています。

・事業内容:4

自分の興味のある対象領域で社会貢献できること。今で言うと自然言語ですが、自然言語って機械学習の中でも複雑な領域なんです。それを扱っていて、社会やお客様のためになるソリューションを持っている会社なので、すごくいい環境ですね。やっぱり、事業内容が志向とマッチしていないと満足度は高くないのかな、と思います。

・働き方自由度:3

自由な方が良いとは思うんですが、僕は基本的には怠け者なので。周りに人がいないと集中できないんですね。なので、自由な方がいいとは思いますが、そこまで重視していないです。重視しているのはフレックスくらいです。

・会社愛:1

基本的にIT関係のエンジニアで10年、20年働く人って少ないと思うんです。転職がある種のキャリアアップになったり自分の専門性を広げたりもします。会社に依存するより、自分をしっかり持って、その時に一番マッチした会社でパフォーマンスを発揮して貢献できれば良いのかな、というスタンスです。

――次で最後になります。キャリアに迷っているエンジニアの方にメッセージを頂けますでしょうか。

田村 当たり前かもしれませんが辞めるのは、次が決まってからの方が良いと思いますね。

今回が特にそうだったんですけど、新しい業界、専門領域に挑戦したい場合は簡単に決まらないので、期間を長く取って、その領域を勉強しつつ、例えばGitHubとかでOSSを公開したり、勉強会でIT関連の人に出会ったり、そういう活動を並行してやった方が良いんじゃないかな、と思います。

結局、最後に強いのは人間関係だと思うんですよ、今はリファラル採用も結構ありますし。あとは転職活動って自分が否定されるような感覚を落ちる時に感じると思うんですけど、週3回とか面接して、と言うのは気が滅入ってくると思うので、長く期間を取って楽しくやった方が良いんじゃないかなと。
 
あとは海外留学をしましたけど、技術の壁を感じているなら大学に戻ってみるというのも悪くない選択なのかなと思っています。ITの世界は広いと思うんですけど、全方位が俯瞰して見れるようなったのが大きいな、と思っていて。

直接つながっている技術じゃなくても、何かあった時にその技術が間接的に役に立ったりとか、考え方として使えたり。広い土台を持つことが大事だと思うので、技術の壁を感じている人は一度行った方が良いなと思います。

特に、海外では文系大出身者も理系の大学院に行けたりするので。「学び直したいな」という人がいたら、やって損は無いと思います。

<了>

ライター:澤山大輔


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